双方とも子供がいる家庭がありながら不倫に走ったという。女からの666回の着信は何を意味するのか?男から700万円の手切金が支払われた?別れられなかった愛と性の暴走なのか?結末は心中するつもりでの殺害。しかし、男は女を殺害しながら自殺は出来なかった。
この事件とは何の関係も無いが、この愛と性の暴走という観点でryuchellの悲劇の記事を見てしまった。結婚して子供が出来てから暫くして、何故か?カミングアウトして離婚。そして女性ホルモンの注射をしながら女性の格好をして注目されていた。しかし、彼の息子の五歳の誕生日の翌日に彼は亡くなっていたそうである。 真相は全く分からない。
どちらの事件も尊い命が失われた。何かが間違っていたのだ。その何かとは愛と性に関する問題であると考えてしまうのである。何処で一線を越えたのであろうか?
このような問題で. 常に言われるのは責任という事である。この二つの事件に共通する問題は責任の所在である。誰しも責任というものを持っている。そして、その責任を果たすという事が命よりも大事な事である場合があるという事である。どの様な責任があって、果たされなかった責任とは一体何であったのか?また、何故にその責任は果たされなかったのか?
霊的な背景も考える必要かがあるのではないか?神様の業とは誰もが考えないだろう。背後に悪魔サタンの力があるのではないだろうか?また、これらの事件は初めて起こったのでは無く過去に歴史上に何度もあった事件である可能性もある。
この様な事件が起こらないように祈るだけでは無く、神の国の実現に向けての弛まない努力が求められて、世界と人が変わる事でこそ二度とこの様な事件は起こらなくなると言えるのでは無いか。諦めず誰しもが戦い続けるのが大切なのかもしれない。
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