旧統一教会問題の本質は価値観の相克

人が自らの命を捨てる事も厭わない行動が出来るのは自らの思想宗教である。山上徹也か実行した安倍晋三元首相銃撃事件。それは明らかに山上本人の宗教的政治的な行動動機であった。この事件では彼自身の家庭問題が強調されて、彼自身の本質的な行動動機は何故か封印されたままなのだ。彼の救世主気取りを冷静に考えてみて欲しいのだ。にもかかわらず、彼を裁かないで、彼が宿敵とした統一教会家庭連合解散請求に動こうとする日本政府は公平さを失いネジが外れているとしか思えない状況だ。先ず裁くべきは山上徹也本人である。彼を裁けなければ解散請求という銃撃犯山上徹也を高笑いさせる結果へと日本の司法は転げ落ちて行くしかないのだ。
彼がどの様な思想的政治的信念を持つのは自由であるが殺人行為を行うのは、オーム真理教の場合と同じで決して許されない。それを実行した山上徹也はオーム真理教の麻原彰晃とやり方としては全く同じ事を行ったと考えられる。麻原彰晃は途中までは成功したが、最終的には敗北したが、彼は2025年時点では成功している様に見えるという点である。

山上徹也だけではなく旧統一教会問題とは経済の問題ではなく価値観思想宗教の問題なのだ。だからと言って人を殺しても良いのであろか?暴力をふるって良いのだろうか?

山上徹也
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