時間軸に存在する遍路道

遍路とは空間に広がる仏に繋がる為の道として存在している。しかし、その道に自分という存在がなければ意味をなさないし仏に通じる事も出来ないのだ。ところが遍路を通じなくても突如として仏に繋がる道が開ける瞬間があるのだ。それが葬式や通夜である。もちろん、自分がそこに存在していなければこの場合にも意味をなさないが誰でもこうした瞬間は訪れる。その時に人は遍路に立つのである。そして、自分も何時か死の門に立つ時が来るのである遍路は時間軸に存在している事を知る事が出来る。四十九日があって一周忌そして三周忌さらに七周忌さらに十三、十七、二十五、三十三、五十と続く仏道が存在している。死出の旅である遍路は実はそれこそが人生の本質である事を人は何時悟るのであろうか?死が見えてなければならないのだ。
人の一人一人の遍路が歴史を形造る。死が歴史を形成して行くのだ。寺とは墓だったのだ。生とは可能性であり形のないものである。死において形を成して歴史となるのである。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次