明石家さんまの笑いと運の関係?そこに運はあるんか?断捨離で運は良くなるのか?

「無駄な運は使わない」という事を明石家さんまが言っていた。だから、賭け事はしないし、宝くじも買わないそうだ。運というものの損得勘定が働いている。お金に対する損得勘定は誰しも持っているが運に対する損得勘定も重要ではないかもしれないと考えた。明石家さんまが笑いを追求するのは笑いで運が上がると考えているからではないかとフト考えたのだ。

有名人が考えている「何が重要なのか」を考えてみると、それはズバリ運なのだと思う。そして運が累積されて運勢という形つまり人気になるのだ。運が尽きたところに待っているのは死なのだ。だから「そこに運はあるんか」と考える。

有名人でなくとも誰しも考えるのだ。一番大切なのはお金ではないか?知識ではないか?或いは自分の夢や目標かもしれない、、、確かに重要なのは間違いないが、それよりも大切な何かがあるのだ。
それが運なのだと思う。間違った事をして運を無くせば直ちに急転直下全ては無意味になるのだ。

何故に善行をしなければならず悪行は良くないのか?何故に人の為に行動するのか?何故に陰徳を積むのか?
運がある人と運が無い人がいる。運がある人といれば自分も運があるが運が無い人といれば自分も運が無い。最近の流行の発想は運の無い人は運のある人に学べば良いという他力本願発想である。それだけというのは何か違っている気がしている。天運は何処にあるのであろうか?
とにかく楽な事をしていて運が良くなる訳がない。一生懸命にやらずして運が良くなる訳がない。行動には運を無くす行動と運がついて来る行動がある。運を無くすような事はやらない方が良いし、考える事もしない方が良い。運が向いて来るような事を考えるべきだし、やるべきなのだ。
運という存在の根本にあるのは神様の力なのかもしれない。それは宗教という形から文明を作り上げて行くかもしれない。イエス様は2000年歴史の中で西欧を中心としたキリスト教文明圏を作り上げたと言えるのではないだろうか?そこには神の力があったからかもしれない。
考えてみよう。どうすれば運が上がるのか?そこから全ては始まるのかもしれない。断捨離という考え方の根本もここから出発しているのかも知れない。
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