待つ事が大事 待てば海路の日和あり

末(まつ)とはラストの事で最後が一番重要なのだ。松竹梅とあって松(まつ)が一番である。神が降りる木と言われて、正月には門松を飾る。クリスマスツリーでも松は特別な役割をする。待つという事について考えてみた。

待つ事が出来ない人の最大の特長は自己中心的であるという事らしい。次の特徴は完璧主義であるという事らしい。それ故に感情や欲望のコントロールが出来ない場合が多いようだ。自分は待つ事が出来る人間だろうか?

待てない人はせっかちであるとも言われる。せっかちな人は早口であり早歩きであるという。落ち着きが無く、心配性なのだ。ここまで書くと自分の事のように思えて来る。

仕事でも人生でも、やる気が無いとかやる事が無いと考える人は待つ事が出来ないせっかちな人と言えるのではないかと考えた。何でそんなにやる気が無い事、やる事が無い事で苦しむのか?自己中心で完璧主義に原因があったのである。その為に待つ事が出来ないのである。実はこれは自分の事なのだ。

「待てば海路の日和あり」

「果報は寝て待て」

「人事を尽くして天命を待つ」

「株を守りて兎を待つ」これを悪い事と考えず、釣りをする時の心境と考える。

「待つ間が花」

「歳月人を待たず」しかし、人は歳月を待ち続けるのである。

これらの慣用句は待つという言葉を持つ慣用句であるが、一様に待つ事の重要性を説いている。

貴方は何を待っていますか?果報?天命?日和?兎?、、、人生は待つ事の繰り返しである。人によって何を待つか誰を待つかは違っている。人の違いは当に其処にあると言えないだろうか。かくて我々は成長して、待つ事が出来る人となって自分を人生をコントロール出来るようになっていくのではないかと考えた。

本質的な意味において、待つという事において知るべき存在が二つある。この二つにおいて、待つ事の意味が明確になる。神様と悪魔である。時を司るこの二つの存在に我々が出会う意味こそが全てである。我々は待つのであるが、何を待つのか?誰を待っのか?が最後に問題となる。貴方は神様との出会いを待ちますか?それとも悪魔との出会いを待ちますか?何を待ち望むかが重要なのかもしれない。

しかし、どれ程待っても来ない何かや、誰かを待っているひともいるかも知れない。それでも、人は待ち続けるしかないし、待ち続けるだろう。それが道であるならば、、、。

待つ事が出来ない事を我慢出来ないとか諦めるという。また待ち続ける事を忍耐とか諦めないという言葉で表現する。待つ事で叶う事は多いのではないか?だからこそ、これだけの待つ事についての慣用句もあるのではないか?だからこそ「待つ」という言葉や行動は末や松と同じく幸運の象徴と考えたのだ。

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