何事も咎めるでないぞ

『ひふみ神示(日月神示)下巻』(岡本天明・筆/コスモ・テン・パブリケーション)の「白銀(しろがね)の巻」と「黒鉄(くろがね)の巻」

人間は皆、かみかかっているのであるぞ。かみかかっていないもの一人もおらんのじゃ。…(中略)…霊人は人間の心の中に住んでいるのであるぞ。心を肉体として住んでいるのじゃ。その中に住んでいるのじゃ。(白銀の巻・第6帖)

人間の言うかみかかりとは幽界のカミかかりじゃ。ろくなことないのじゃ。かみかかりにも、かみかかりと判らんかみかかり結構じゃなあ。(白銀の巻・第6帖)

神は人間の想念のなかに入っているのじゃ。想念が一致するから神の想念が人間に伝わるのぞ。人間の言葉となって人間に現れる。言葉は神であるが、人間でもあるぞ。自分が自分に語るのであるぞ。この道理よく心得なされよ。(黒鉄の巻・第27帖)

人間は肉体をもっている間でも、その霊は霊の国に住んでおり、霊の霊は、霊の霊の世界に住んでいるのであるぞ。この道理よくわきまえよ。(黒鉄の巻・第33帖)

何事も咎めるでないぞ。咎める心、天狗ぞ。神の前にへりくだり、へりくだってもなお過ぎるということないのじゃ。人間は、色とりどりそれぞれの考え方を自由に与えてあるのざから、無理に引っ張ったり、教えたりするでないぞ。今あるもの、今生きているものは、たとえ極悪ざと見えても、それは許されているのであるから、あるのであるぞ。他を排すでないぞ。(黒鉄の巻・第31帖)

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