人間における悪なる欲望と善なる欲望の葛藤から無知の克服への道それが無ければ何度も同じ過ちを繰り返す

東出昌大の不倫が問題になっている。それは彼だけの問題ではない。我々は誰しも幸福になりたいのだ。東出も同じだったはずである。人は誰しも不幸を退け幸福を求めて生きている。悪を退けて善を求めて生きている。しかしながら、我々は欲望を満たす事で幸福を感じる。そうして不義なる欲望を満たせば不幸になるという事もある程度自覚して生きている。しかし、どうしてか誤った道に行ってしまうのだ?それは環境の問題もあるかもしれない。どうしても善よりは悪の方に傾いてしまう生活環境の問題もあるのかもしれない。
その心理はある程度想像は出来る。しかし、我々は残念ながら明確な善悪基準を持っていない。一体何が善であり?悪であるのか?明確でないのだ。人は無知なのだ。東出もまたある意味無知だつたのではないか?それをソクラテスは「 無知の知」と言った。それ故に人間はなかなか幸福になれないのである。
無知の克服。これこそが人類の悲願であり我々がなすべき事なのだ。それ故に科学があり、宗教があるのだ。特にこの日本に於いては宗教的な無知が問題になる。道徳性の問題である。東出に於いてもそうであったのではないか。でもあまりに無知であると自分が誤った事をしたという認識すらないのかもしれない。そうすると同じ過ちを何度も繰り返すという事になるのだ。真相はどうなのであろうか?
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