目出度い事「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」その2

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親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬの意味

この話は昔、臨済宗に傾倒していた頃の親から聞かされた話である。

https://www.days-henro.cloud/archives/oya-ko-mago1.html

逆縁つまり親が死ぬ前に子が死ぬ事。これこそが不幸であり、これ程辛い事は無いと言うのである。確かに自分の母親は弟が死んだ時に精神的におかしくなってしまったのだ。だから、死んだとしても、それが順縁であれば、これは幸せな事ではないかというのである。

教会に聖和会という会があって、幼い子供を亡くした方に聖和会の先輩家庭からある方法を教えられて、そのどうしようもない精神的な地獄から立ち直ったという証をYouTubeで教えられた。それは心の中に神様と愛を取り戻す方法である。

逆縁は居場所が無い無縁へ

逆縁とは親と子という根源的な居場所を失う事ではないかと考える。逆縁による居場所喪失を繰り返すと無縁という孤独をもたらす。自分も、色々と祈りながら考えていたら何らかの心の居場所を失くしている人に出会った。彼女は空の料理酒のプラスチック容器を一つだけ持ってマンションのゴミ捨て場に来たのだ。「どうぞ」と言って私はゴミ捨て場のドアにキーを差し込んで開けたのだ。彼女は「すいません」と言って、中に入って、それだけを置いて帰って行った。明らかに彼女は家から出る為だけにそれを持って外に出たのだ。どうして自分は彼女に出会ったのだろう?

自分も居場所を失くしている人間なのだろうか?親を失くし、故郷を失くして生きている。友も無く、仕事も無く、生きていても居場所が無ければ幸せとは言えないだろう。心の中で祈りながら生きる為の居場所を作ろうと考える。この世で居場所が無くなればあの世に行くしか無くなる。しかも、その世界は残念ながら天国では無いようなのだ。

其処に愛はあるんか❗️居場所はあるんか❗️

自分の中にどうすれば居場所を取り戻す事が出来るのか?愛を取り戻す事が出来るのか?其処に愛はあるなら、居場所が其処に出来るのである。愛があれはそこには親がいて子ができる。

不信仰があると逆縁になるが、信仰を持って生きていれば順縁である。順縁であるという事は信仰を持って生きている事だから「めでたき事」という事なのかもしれない。

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