「神は存在するに違いない」と考えてから「本当の自分とは何か」と考るまで

自分は何時から神様という存在を考えるようになったのだろう?高校時代何年生だったかは覚えていない。夕方部活も終えてバスを降りる瞬間だった自分の左手前腕だっただろうか?それが何故か目に入って思ったのだ「誰がこの手を作ったのだろう?この宇宙にこの手が存在しているという事はこの宇宙の根源にこの手を作る存在、、、神が存在するに違いない」と瞬時に悟ったのだ。その日、夜眠る時も何故かこの考えに興奮していた。そうした時に背後に「大変な事を知られてしまった」という声を聞いたような気がした。それはひょっとすると悪魔の声だったのかも知れない。

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それから月日は経って、色々な事を考えて来た。死とはその神と一つになる事であり、人が死ぬかもしれない冒険に興味を持つのは死に近づくからではないかなどと考えていた。死に関心があった。性と死に強い関心を持っていた。
自分という存在については様々な事を考えていた。自分とは一体何だろうといllう疑問である。自分を考える自分がいて、また、その自分を考える自分が存在している。。。その果てしない連鎖の中で自分という存在はループする。Aさんと対する時の自分があって、またBさんと対する自分があって、、、こうして自分という存在は発散して存在は消えてしまう。本当の自分とは一体何か?それは神、、、自分の神と対する時の自分こそが本当の自分だと考えるようになった。神そして自分。。。死と性。。。でも、人は如何に生きるべきか?答えは出て来なかった。
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そんな自分に大学時代のある出会いが今後の方向性を決定的にしたのだった。
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