目出度い事「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」その1

如何に生きるべきか

死ぬのが何故目出度いか

一休禅師が「一番目出度い事を書にしてもらえますか?」というお願いをされて「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」という事を書いたという事を、当時臨済宗のお寺に行っていた父親から聞いた事があって、それが何故か今でも頭の中に残っていた。「死ぬ」という言葉と「めでたい」がどうしても結び付かないので印象的な言葉だった。

順縁と逆縁の意味とは

これは順縁というが、これが逆になると逆縁というのだ。親が死ぬ前に子が死ぬ事、これ程悲しい事はないと説くのである。一休禅師がそれを書いたところ、「死ぬとは何がめでたいのか」と詰め寄られるが、「では、貴方は孫死ぬ 子死ぬ 親死ぬとなりたいか」と諭したという逸話である。

不信仰すると逆縁になる?

しかし、調べてみると仏の教えを受け入れるのを順縁と言い、背くのを逆縁と言う場合もある事を知った。私の家では不幸が続き若くして亡くなる人が多かったので、「逆縁になるのは、この家に信仰がないからだ」という事を私の伯父さんが言ったという事を聞いた事もあった。仏法に背くと逆縁になるという事であるのかも

目出度い事「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」その2
親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬの意味この話は昔、臨済宗に傾倒していた頃の親から聞かされた話である。逆縁つまり親が死ぬ前に子が死ぬ事。これこそが不幸であり、これ程辛い事は無いと言うのである。確かに自分の母親は弟が死んだ時に精神的におかしくなっ...

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